逢坂冬馬

 紙面はまるで、赤軍がまったくの無傷で勝ったような書きぶりだった。 そのなかに、詩人、イリヤ・エレンブルグの短い作品が載っていた。 キエフ生まれのユダヤ人。革命前からのボルシェヴィキで、フランスに滞在していたが、対独敗戦前をにソ連に帰国していた彼は、ヨーロッパ滞在時はピカソやモディリアーニといった芸術家とも交流していた耽美主義の巨匠だ。その経歴もあって従軍作家として活躍している彼は、兵士向けにこんな記事を掲載していた。 ドイツ人は人間ではない。我々は話してはならない。殺すのだ。もしドイツ人を一人も殺さなければ一日を無駄にしたことになる。もしドイツ人を殺さなければ、彼に殺される。 ドイツ人を殺せ。ドイツ人を生かしておけば、奴らはロシア人の男を殺し、ロシア人の女を犯すだろう。あなたがドイツ人を殺したなら、もう一人のドイツ人も殺せ。費やした日数を数えるな。歩いた距離を数えるな。殺したドイツ人を数えろ。ドイツ人を殺せ! 母なる祖国はそう叫んでいる。弾を外すな。見逃すな。殺せ! なんだこれは。セラフィマは眉をひそめた。詩人が書いたとも思えない幼稚で露骨なプロパガンダであり、憎悪以外になにもない。男のエレンブルグが危機感を煽るのに敵が「ロシア人の女を犯す」というのも、女がロシアの所有物だと言われているようで腹が立つ。新聞をそっと閉じて腕で顔を覆った。